世界を揺るがした歴史的大勝利(2015年W杯日本v南ア)の思い出
過去の特定の日と出来事がしっかりと関連付いて記憶に残っている日は少ない。
「2015年9月20日」という日付を聞いて反応をした方はラグビーファンに間違いないだろう。
その方とはビールがあれば2時間は楽しく会話をすることができそうだ。
「2015年9月20日(イギリス時間では9月19日)」は一生忘れることのない大きな感動と凄まじい衝撃を受けた日で、今でも鮮明に覚えている。
試合を見るのが怖かった南アフリカ戦
実を言うと、あの日は「試合を見るのが怖かった」というのが本音。
それもそのはず、日本はそれまでW杯7大会で僅か1勝(21敗)の弱小国。
かたや南アはW杯で優勝回数2回を誇る世界的強豪。
2015年W杯においても優勝候補、当時の世界ランキングは2位(日本は15位)だった。
日本代表はW杯前の8月15日に、仮想南アと見立てた世界選抜チームと秩父宮で対戦。
ほとんどが選手としてのピークを終えた選手で構成された相手に対し、フィジカルで圧倒され20-45で敗れた。
(南アより弱いであろう)寄せ集めのチームににホームで完敗するようではW杯本番で南アに対抗できるはずがないと誰もが思ったはず。
この試合はかつてのラグビー部の仲間と秩父宮で観戦、その後の居酒屋での会話は当然W杯での日本代表について。
よく喧嘩もしていた5人の仲間と日本代表のW杯での結果予想については不思議と全員一致した。
プールBで日本代表はアメリカに勝利し1勝、南ア、スコットランド、サモアには敗れて3敗で大会を終えるというものだった。
中3日で迎える第2戦のスコットランド戦に万全を期すため、南ア戦はリザーブ中心で戦うべきだとする意見もあった。
つまり、全く勝ち目のない南ア戦よりも、数パーセント程度?は勝てる可能性のあるスコットランド戦にフォーカスすべきということだ。
南アとの実力差は40点差ほど、チームの歯車が噛み合わなければ60点以上は差が開いて負けるという印象だった。
当然、南アに日本が勝てると予想していた人は僕らだけでなく世界中に誰もいなかったのではないだろうか。
日本代表の選手やエディー、代表のスタッフを除いては。
日本vs南ア戦キックオフ!目の離せない凄まじい試合に
日本代表にとっては4年に1度の大舞台であるW杯の初戦、しかも時間は日本の深夜の時間帯。
にもかかわらず地上波で生放送をしないということに、ラグビーファンとしては怒りを覚えての自宅での観戦だった。
Jスポで観戦したが、確かNHK BSでも生放送していた記憶がある。
日本代表の選手は低くて出足鋭いタックルを連発。
さらにタックルしてはすぐ立ち上がってを繰り返し「こんなはずではなかった」という南ア選手の動揺と焦りがみて取れるほど。
試合開始直後から汗が止まらず大興奮。
しっかり集中して観たい、記憶に留めたいとラグビー観戦には欠かせないビールを飲むのをやめ、水へ変更してTVの前にかじりついての観戦だった。
前半を終えてのスコアは10-12と日本が2点差のビハインド。
素晴らしい戦いぶりでひょっとしたら奇跡が起こるのではと期待する一方、この時点では体格に劣る日本が後半になると疲労などから劣勢となり、突き放されるのではと予想していた。
結果はご存知の通り。
日本がラストプレーでサヨナラ逆転トライを決め、34-32での大勝利。
イギリス南東部の都市ブライトンが世界の中心となった。
価値観が大きく変わった南ア戦
試合後はTVを観て自然と涙が溢れたのは初めての経験で、放心状態だった。
夢か?と思ったが、友人から興奮度MAXの電話が次々にかかってきて現実だということを理解した。
南アフリカとは100回対戦しても1回も勝てない、生きている間に南アに勝利する試合を観ることはできないと思っていた。
その相手に勝ったのだから、その衝撃と感動たるや、言葉では語り尽くせないほどだ。
自分の人生感や価値観が大きく代わったのは言うまでもない。
今でも気合を入れたい時など、あの試合のラストシーンを観る事があり、自分にとって生きるうえでの心の拠り所のようなものに。
スポーツ、ラグビーの魅力と可能性を改めて認識した試合にもなった。
2年前にW杯があったとということは、2年後には次のW杯が開催されるということ。
2019年大会は日本で開催される。
次はどんな大会になるのか、楽しみとワクワク感でいっぱいだ。
これからも日本代表の試合に限らず、心を大きく揺さぶるようなラグビーの試合に出会うことを期待したい。